takuto の過去(高校編)
おはようございます、タクトです。今回はタクトの高校時代のお話。
前に「中学編」を書いたのでそれの続きだと思って読んでもらえればと思います!
(記事はコチラ☝︎)
それではどうぞ!
遡ること中学時代、ハードな練習に耐えながら部活もやり、めちゃめちゃ勉強して見事に進学校と呼ばれる高校への切符を獲得します。ついに、高校へ入学を果たすわけですが、当時の僕はというと、受かった時点で完全燃焼してました。
つまり、合格がゴールだったのです。もはや勉強するモチベーションはゼロでした。
バスケは好きだったのでバスケ部へ入りました。ただ、勉強と部活、のうちの勉強がかけました。その分エネルギーも時間も有り余ってます。
そんな僕は恋愛に目覚めます。(ちなみに高校までは彼女ができたことがなかったです。)
中学校まで勉強に使ってたであろう時間やエネルギーを女の子とのコミュニケーションに使い始めました。
偶然か必然かその高校は珍しい方だと思うのですが、女子が男子よりも多い高校で。クラス40人いたら、女子30人と男子10人でした。
本当なんです。
結果、高校3年間で3人の女の子とお付き合いさせていただきました。これを世間では高校デビューとかなんとか言うのかもしれませんが。。。
しかもうち2人は同じクラスだったもんで、仲の良かった男の子の友だち、ケンちゃんから「付き合うのはタクちゃんの自由だけど周りのことも考えろよ。」と言ってくれたのは高校卒業して4年半経った今でも鮮明に覚えてます。
友だちとしてぼくのことを気遣って言ってくれたと今ならすごくわかります(笑)。
ケンちゃん、ありがとう。
彼はデキる男なのです(笑)。
そんな仲良くしていた周りの友だちも優しいので何も言わず、今もぼくが札幌に帰省する度に会ってくれます。
たまにではありますが、バスケ部のメンバーとも今だに付き合いがあります。
ぼくは高校生活でサイコーの仲間ができました。誇りです。
さて。
そんな高校生活にも大きな壁が立ちはだかります。大学受験です。そしてこれが僕の人生にとっても大きなターニングポイントになります。
もちろん大学には多額の費用がかかります。なので、僕の親父には前々から「その大学に行く明確な目的と理由を持ってこい」と言われてました。
当時高校生の僕はそんな将来の夢などなく、流されるように北海道大学に目標を設定し、理由もなんとなく決めました。
ケガした時にお世話になった理学療法士の仕事に憧れがある、てきとうに後付けです。
もちろん時すでに遅し。初めて人生で「失敗」をします。スポーツも勉強も今まで可もなく不可もなく。「なんとなくやればできた」のが初めて通用しなかった瞬間でした。
また流されるように浪人という道を選びます。
その浪人中に初めて「人生」というものに向き合い、「なんで嫌いな勉強をこんなに全力で頑張ってるんだろう」という思いが芽生えます。
この気づきこそがターニングポイントでした。もちろん、大学の先に目的があるならばやらなきゃいけません。でも全くありませんでした。
将来の夢なんてない→やりたいこと見つけよう
→環境を変えなきゃ見つからない→上京しよう
→どうせ環境変えるなら英語使えた方がのちのち仕事の幅も広がりそうだし海外にしよう
親父のアドバイスも参考に、簡単に説明すると上記のような思考にたどり着き浪人中に留学を決意します。当時19歳の冬でした。
コツコツ留学費用をアルバイトで貯め、そんなこんなで20歳でオーストラリアに旅立ち、今に至ります。
今でこそ「バリスタを続けたいなあ」とか「いつか自分でゲストハウスやれたらなあ」とか。なんとなくではあるけど将来の目標を持てて、それに向かってトライする日々が楽しいです。
浪人時代に大事なことに気づけて本当に良かったと思ってます。
まあ今思い描いてるのは「なんとなく」の目標であって本当にやりたいことはこれから出会うような気がしてます。直感ですけど(笑)。
それまでは面白そうだなと思ったことにはトコトン挑戦していきます。
おわり