「ナナメの夕暮れー若林正恭ー」を読んでみたい!と思った話。
おはようございます。タクトです。
報道番組でコメンテーターが「今はGOTOは全域で停止した方がいいですね〜。」と口を揃えてロクなことを言わない。
そんな中ワイドなショーでまっちゃんが「GOTOでお一人様をやってほしい。」(1人の場合40%オフ、2人の場合20%オフみたいな)と言っていたのを聞いて、唯一まともなワイドショーやってるなぁと思った。
さて。
「ナナメの夕暮れ」、お笑い芸人・若林正恭さんが書いたエッセイを読んだ。
数年前から本を読むようになり、エッセイにも手を出すようになった。
エッセイは自身のなんてことない日常を通して著者が感じたことや考えていることなどが描かれる、いわゆる長編日記のようなものだ。
いつからか人の思考に興味を持つようになった。
オードリーのオールナイトニッポンと若林正恭
若林さんに興味を持ち始めたのはオードリーがやっているラジオ番組、「オードリーのオールナイトニッポン」を聴き始めたのがきっかけだ。
幼い頃から寝付きが悪く、特に物音がしないと1時間は布団に入ってから眠れない。
ずっと音楽を少音で流したり体を横向きにしたりいろいろ寝付きが良くなる方法を試してきた。
その中でラジオを聴きながら寝るのが1番寝付きが良いことがわかった。(今のところ)
最初バナナマンのバナナムーンGOLDを聴いて、なんとなくオードリーのオールナイトニッポンも聴いてみようと思って聴き始めた。
それからは面白くて毎晩の睡眠のお供だ。(とは言っても寝てしまうので冒頭15分くらいしか聴けていない。笑)
ラジオでは、つい細かいことを考えこんでしまう若林さんとなにも考えていない春日さんの2人の性格がよく表れていて面白い。
おっと脱線してしまった。いけない、いけない。
そんなこんなで、若林さんが繊細だということ知り、ラジオで連載していると言っていたエッセイが読みたくなった。
タイトルは「ナナメの夕暮れ」。
早速仕事終わりに本屋に寄ったが売っていなく、ネットで探した。
ナナメの夕暮れ
本の帯を見ると、「おじさんになって「生き辛さ」から解放された、『自分探し』はこれにて完結!」と書いてあり、思わず手に取った。
なにせ僕も「自分探し」のために大学進学を辞め、留学までした繊細な人間の内の1人だからだ。
タイトル「ナナメの夕暮れ」は若林さんがこれまであらゆる物事をナナメに捉えてきたことが由来らしい。
エッセイは各章短編で書かれており、本を読むのが苦手な僕でも非常に読みやすかった。
1章ごとに若林さんの世の中が定義した"普通"に対する「なんで?」を通して感情の起伏が描かれていて面白かった。
ただ全体を通じて様々な感情の内の「怒」「哀」の割合が多いせいか少々疲労感を覚えたのも事実。。。(比べるのもおかしいが星野源さんも繊細な人だが彼のエッセイは「喜」「楽」の要素が多い。そんな星野源さんのエッセイ「そして生活はつづく」についてはまた次回!)
きっとこの人は自分にとって疑問に感じたことに対する「敵わないもどかしさ」のようなものをプラスのエネルギーに変えれる人なのだろうと思う。
この本の一節に
「昔、バレーボールの授業でレシーブが全くできない相手に『お前ふざけてんのか?』と言ってしまったことを後悔している。」
というくだりがある。
できる奴はできない奴の気持ちがわからない。
自分にも思い当たる節があった。どっちの立場も。
わかろうと努力するもこれが結構難しい。
そりゃそうだ。自分にとって当たり前のことでも相手からすれば知ったこっちゃない。
学生から社会人になり、仕事を通じて教わったり教えたりすることがすごく難しいと思っているから印象に残ったのかな。
相手を理解しようとすることには限界がある。
「人生は”合う”人に”会う”ってことでいいんじゃないかな。」と若林さんは本文で述べている。
自分探し
「自分探し」の答えになるようなもの、または答えが見つかるきっかけになるものが何かあればいいなと思い手に取ったが結論言うと「何もなかった。」
だがもしかするとこれが答えなのかもしれないという気がしてきた。
自分が何が好きで何がやりたくて何を目指したいのか。
その答えはもしかしたら永遠に見つからない可能性もあって、もしかしたら生きた結果それが答えでした、ちゃんちゃん。ってこともあるのかな、なんて気もしている。
と考えると、あまり考えすぎてもしょうがない。
結局はその塩梅。
もう少し気楽に生きてみようと思った。
気づけば半分くらいラジオの話になってしまった。
おわり